DTPや製版工程を中心としたデジタル化の黎明期に続き、生産としての印刷のデジタル化が始まったのは1990年のゼロックス社ドキュテックが最初とされる。以来カラー化や品質・性能向上の歩みを進め、はや30年以上。その後日系メーカーもこぞって市場参入。業界の中心プレイヤーとなり、今や各社の主力ビジネスの一つとしてのポジションを担っている。
私もその中に居た一人であり、事業立ち上げ期の混沌を顧みると、現在の進化した姿はまさに隔世の感がある。当時、対象となる顧客は、印刷業界と企業内印刷を管理する事務機業界、の二つであったが、それぞれの文化や考え方が異なるので、PRや営業説明には結構苦労した記憶がある。印刷業界では「版無し」のデジタル印刷が、画期的な製品としてもてはやされ始めていたが、事務機業界から見れば、版無しのデジタルプリンターは普通の商品であって、何故「凄いこと」なのか良く理解されなかった。一方事務機業界では、「一台で何万ページものプリントを行う生産機」は驚くべきことであったが、印刷業界はすべてが生産機であるので、「こんな華奢な機械が使えるのか?」と言う反応も多かった。
その頃、プロダクション・プリントというワードを使い出した。定義のあやふやな言葉ではあったが、うまく流れに乗り市場拡大の一助になったのではないかと思っている。(現在はデジタル印刷における、特にトナー機のカテゴリーとして確立したが、当時、競合メーカーの一社は、暫く頑なにこのワードを使わなかった。社内的にも商品企画提案書が、‘プロダクション・プリンター’から高速MFPに事業企画部門で書き換えられていたことなども記憶にあり、浸透には紆余曲折もあったことを思い出す)
昔話になってしまったが、当初よりデジタル印刷のメリットは
『小ロット、短納期』であり、20年来呪文のように唱えてきた。これは版無し印刷の特性からみれば実に論理的に分かり易いもので、このコンセプトが市場を一気に変えるのではないかと大いに期待されたものである。
ところが、海外ではデジタル印刷比率が大きく拡大していった一方で、日本国内では思うように広がってゆかない。メーカーの事業部門としては何故なのか?色々と頭を巡らすことになる。何年にもわたって、実際の市場情報、業界識者の意見、印刷会社へのヒヤリング等を繰り返して、以下のようなことが理由ではないかと想定された。(このような活動は、多分各メーカーの担当者は何度もやっただろうし、印刷業界の関係者もそう理解しているだろうと思われることである)
- 品質がオフセットに及ばない(日本の市場品質要求には不十分)
- 印刷単価が高い
- メディアの制約がある(サイズ、紙種、ダメージ)
- 大量生産には向かない
- 顧客がデジタル印刷を良しとしない
- 既存の設備運用に影響が出る
- デジタルに適した仕事が少なく、売上金額・利益が出ない
といったところであろうか。1~4に関しては、デジタル印刷機メーカー側の努力はなかなか大したもので、この20年の飛躍は目を見張るものがある。一方で、オフセット印刷機も負けてはならじと、版替時間の短縮、清掃やメンテナンスの簡便化、機械管理のデジタル化など、こちらも進化を重ね、徐々にデジタル印刷は増えてはいるものの、オフセットが印刷生産の主流を担う構図は大きく変わっていない。
それでは、上記の5~7が要因なのか?という問いに対して一つ気づくことはないだろうか?それは、これら3つともポイントが「オフセット印刷との比較」で語られているということである。
海外でのデジタル印刷の拡大に関して、最近結構持論として語っているのだが、大市場である北米、欧州、アジア、実はみな理由が異なるのではないかと思っている。
北米市場(特にアメリカ)でのデジタル印刷普及の理由は、「効率化=コストダウン」に尽きるだろう。中小企業の経営が大企業に画一的に吸収・収斂されてゆく風土では、小ロット印刷物の生産のみならず、大ロット生産物もデジタル印刷では普通のこととなる。生産効率と資本効率を最大限にあげてゆくためには、全体最適の仕組みが優先され、その中でデジタル印刷は威力を発揮する。ありていに言えば、固定費で最もウエイトを占める人件費を、旧来の仕組みから大胆に削減してしまおう、という発想であって、例えば印刷機を全台一気にデジタル機に変えてしまい、人員を1/3に削減というような荒っぽいシナリオを動かしてしまう。
日本や欧州などでは、簡単に解雇や退職勧奨などできる由もないので、あくまでかの国でのモデルではあるのだが、最低限の品質とデリバリーの担保があれば、直接・間接の費用(時間工数含め)の大きなメリットがあるだろう、と言う考え方である。そこでの原価は全体の生産事業としての原価であり、変動費のみの、枚数単価、通し単価、という発想は薄くなってくる。単純比較はできないが、日本の印刷業界規模が5兆円弱、米国は$7600億程度といわれており約20倍。(一寸米国は大きすぎる気がしないでもないが)その規模感でもデジタル化比率は日本よりかなり高い。米国式経営が日本市場に馴染むとは思ってはいないが、まだまだ学ぶべきことは多いのだろうと思う。
欧州に関しては、「バージョニング」がキーワードだと思っている。世界的に見て自国で経済が完結しうる市場規模を持つ国家は、米国、中国など限られた数しかないだろう。(勿論グローバルな貿易と受給の関係が入り組んでいる現代では、一国ですべてが成立する国はない。市場規模のイメージでとらえて頂きたい。)
欧州は中規模、小規模国家の集合体で、一定規模以上の企業がビジネスを自国のみで拡大を意図してゆくのには自ずと限界があり、汎欧州での展開がベースとなる。ところが、観光で訪れるには多様な文化や生活は魅力的だが、ビジネスを展開してゆく上では、言語、生活、宗教が国ごとに異なるというのは厄介な問題である。自ずと製品・サービスは、何事につけ少量多品種のオンパレードとなる。ユーロが基幹通貨となってから20年余りとなるが、もし以前の各国通貨のままであったならば、さらに厄介度が増していただろう。
必要とされるのは、まさに「小ロット・多品種」であり、「印刷のバージョニング」とでもいうべきものである。特にパッケージやラベルの印刷において、それは顕著なものとなる。言語の相違のみならず、文化的にも多様なので自ずと印刷物のテイストも異なって来る。デザインや言語、各国での法規制など、汎欧州と言う市場を目指す限りは、デジタル印刷でないと対応できないというビジネスは非常に多い。ドイツだけは印刷機メーカーの本拠という自負があるのか、先日のdrupa2024でも変わらぬプレゼンスを訴求してはいたが、流石に集客はデジタルに集中してきた感があった。
東南アジア、南アジアでのデジタル印刷の普及は、欧米ともまた違う。大きな要因は、オペレーターを中心とした人材の「技術、スキルの不足」をデジタルで埋める、ということである。すなわち、印刷機の技術者がもともと少ないし、新規に育成するのにも時間がかかりすぎる。であれば、投資金額も少なく済み、簡便な導入が図れるデジタル印刷機に流れるのは自然なことであろう。人口増や経済成長も有り、有版印刷にランニングコストの優位性があるビジネスも多いだろうが、そうもいっていられない、というのが本音と考える。
私見を述べたが、お気づきになっただろうか? 米国とアジア諸国では、デジタル印刷の導入動機は、「Human Issue = 人の問題」解決であって、「小ロット・短納期」による変動費低減ではない、ということだ。欧州でも、多品種への対応という観点では、デジタル印刷でしかできない仕事、が多くなるので結果的に小ロット印刷物にはデジタル印刷、という構図になっているとも言える。
もう一つ。「オフセット印刷の補完」としてデジタル印刷が語られる割合が圧倒的に高いのは、ここ日本である。(日本だけ、と言っても良いかもしれない)根底には「既存の印刷ありき」であって、その上で、「小ロット・短納期」の仕事を切り出して、デジタル印刷に当てる、という考え方が生まれる。基本のシステムは既存の印刷オペレーションであるので、労務費の高いオペレーターがシフトを組み、セールスが変わらぬ営業訪問を続ける。「デジタル印刷は儲からない」と言う声をよく聞いたが、儲かろうはずがない。
デジタル印刷導入は、経営と業務の改革によってメリットが出せるものであって、補完的修正に位置づけられるものではないだろう。日本市場においては、前述の「企業における人の問題」の強力な解決ツールとして、改めて考えてみる必要があるのではないだろうか?勿論固定費としての労務費の効率化は言うに及ばず、「人の問題」は多岐に渡る。特に日本の中小・中堅企業に顕著にみられる「人事の5大課題」とは次のようなものだ。
- 採用
- 人材育成
- 人事評価
- 人員配置
- 労働環境整備
具体的には:
- 新卒・既卒いずれも採用ができない。
- 採用しても定着しない。
- 技能者、スキルの有る人間の減少。
- 育成に時間がかかりすぎる。
- 特定の従業員への業務依存と困難な配置転換。
- 労働環境を改善しなければならない。
- 労働法規の遵守(休日、休暇、労働時間)と現実のギャップ。
などであろう。いずれも、直接的・間接的にデジタル印刷主体への転換が、その解決の端緒となる、というイメージが湧きはしないだろうか? 実際はイメージの話ではなく、既に人事課題の解決のメリットを享受している印刷会社も増えてきている。
drupa2024の出展を見てみれば、印刷機は遠からずデジタルがマジョリティとなる時代が来ることがわかる。商売は、「ヒト、モノ、カネ」のマネジメントであ。デジタル印刷の「ヒト」に関する効能について、改めて考えを及ばせてゆきたいと思う。