
インクジェットは奇妙な印刷方式である。正しい紙に出会うと、素晴らしい仕事をする。そうでないと、話にならない。『正しい紙』とは、インクジェット受容層を備えた専用紙を意味する。どの印刷も紙との相性が決定的に重要なのは同じだが、その落差が大きすぎる。正しい紙を使えば風合は異なるが、銀塩写真に匹敵するレベルの写真が刷れる。写真品質に限れば、トナーやオフセットを凌ぐ。その銀塩は、高コストで競争力を失った。市場に僅かに残った一部も、昨今の貴金属コスト高で風前の灯火か。
産業用としての生命線は、コストである。インクジェットが言う「正しい紙」も、産業用としては高コストである。記録用としては正当化できるが、一般の産業用途では認められない。産業向けにインクジェットが成長するには、産業用の紙を使うこととなる。これらの紙は、インクジェットにはあまり正しくない。表面にインクを保ってくれない。滲むか、弾くか。乾かないか、裏ぬけするか。昨今の産業用途のインクジェットは、環境性能とコストの両面からインクは水系に舵を切っており、問題は加速された。結果として、一般の産業用紙へ水性インクで印刷するインクジェットは、条件によってはオフセットはおろか、トナーにも及ばないものとなる。紙に載せるインク量には上限を設定せざるを得ず、文字のエッジは失われ、画像のシャープさも低下する。産業用インクジェットの戦いは、ここに尽きるのではないか? どうやってインクを産業用の紙、あるいはフィルムに、充分に載せ、滲まず、乾かし、裏ぬけさせないか。インクジェットが、商業印刷、出版印刷、パッケージ印刷市場で、アナログを抑えて主力たりうるか、それともそれは印刷機メーカーの幻想か、その興廃はこの一戦にある。
それに対してSCREENが解答を準備していた。京都では商業印刷への、潮来では軟包装印刷への、それぞれの解答を拝見できた。本稿ではその内容を報告する。
商業印刷への解答
Truepress JET 560HDX @Inkjet Innovation Center Kyoto
京都から車で南へ向かう。京セラの本社を左手に通り越してさらに南へ。もう京都市内ではない、というあたりにSCREEN Inkjet Innovation Center(IIC Kyoto)がある。Truepress JET 560HDXは、そこにある。単に印刷速度や解像度を向上させた高速インクジェット機ではない。SCREENが高速インクジェットの弱点を総合的に見直し、産業用の「生産システム」への解答として、完成度を高めてきた。その中核となる八つの技術について整理したい。
ネイティブ1,200dpi循環ヘッド
パージレスに近い運転という大きな進歩
560HDXでは、600dpiヘッドを組み合わせた構成ではなく、ネイティブ1,200dpiの循環型インクジェットヘッドが採用されている。循環構造によりヘッド内部ではインクが常時循環し、ノズル内での顔料沈降や気泡の滞留を抑制している。今回最も驚いたのは、実際のユーザー工場ではパージをほとんど行っていないという説明であった。従来の高速インクジェットでは、
- 定期パージ
- インク廃棄
- 停止時間
は避けられないものだった。また紙間が存在しない輪転方式では、目立たないように散らしてインクを吐出する方式や、ドブへの吐出等でとにかくインクを廻さねばならなかった。しかし560HDXでは、循環ヘッドによってノズルの安定性が飛躍的に向上し、実運用でパージレスに近い運転が実現している。
SC2高濃度インク
オフセット品質へ近づいた発色
色が濃い。インクジェット特有の、薄さ、寝ぼけ感がない。新しいSC2インクによる高い発色性とODの向上が感じられる。従来機と比較すると
- 黒の締まり
- 写真の階調
- ベタ濃度
- 彩度
が明らかに改善されていた。新しいSC2インクは、乾燥性能とのバランスを最適化している。その結果、インクジェットの弱点を感じさせない、高い印刷品質を実現していた。
高精度画像補正
ハードウェアだけに頼らない画質設計
一般にこの高速ヘッドは、耐久性・生産性には優れる一方、着弾精度ではMEMSヘッドに比べ不利とされることがある。しかし560HDXでは、印刷物から判断すると、高度な画像補正技術が組み込まれていると考えられる。
例えば、着弾位置補正、バンディング補正、スクリーニングなどの画像処理を組み合わせることで、ヘッド単体の性能だけでは説明できない画質を実現している。560HDXは、ハードウェアだけではなく、システム全体で画質を作っている。
ノズル補完技術
抜けピンがほとんど見えない
今回見たサンプルでは、ノズル欠損による白スジや抜けピンはほとんど確認できなかった。これは、ノズル補完アルゴリズムが非常によく機能していることを示している。現在の高速インクジェットでは画質を決めるのは、ヘッド性能だけではない。ソフトウェアによる補完技術も同じくらい重要になっている。560HDXはその完成度が極めて高い。
インライン品質保証
CISによるリアルタイム検査
560HDXでは印刷後の品質検査も大きく進化している。説明によれば、Contact Image Sensor(CIS)が搭載されており、印刷、乾燥直後の画像を高解像度、かつ全幅で読み取り、SCREEN独自の画像処理技術を用いて印刷面をリアルタイムに読み取りながら、
- ノズル抜け
- 印字異常
- バンディング
- 色変動
などを常時監視する。従来は、印刷後に検査していた品質管理が、現在では印刷中に行われるようになり、品質異常の早期検出や発生箇所の特定が可能となった。品質保証は印刷工程ではなく、Production Workflowの一部になっている。
自動色管理
Closed-loop Quality Control
560HDXではインライン分光測色機を利用し、安定した色再現を支える高精度測色を実現するとともに、用紙条件に応じて色濃度を自動調整する。品質管理は検査だけでは終わらない。測定結果を印刷条件へフィードバックし、印刷中の品質を安定させる。
いわゆるClosed-loop Quality Controlである。印刷品質はオペレーターの経験だけではなく、システム全体で維持される時代になった。
新乾燥技術
高速水性インクジェットを支える「見えない技術」
Truepress JET 560HDXでは、ヘッドやインクだけでなく、乾燥システムも、その中核を担う技術の一つと思われる。高速水性インクジェットでは、大量の水分を短時間で除去しなければならない。一方で、過度な熱を加えると紙の伸縮やカール、波打ち、画像品質の低下を招く。そのため、高速印刷と高画質を両立させるためには、乾燥技術が極めて重要な役割を担う。560HDXでは、新開発のSC2水性顔料インクと乾燥システムを一体で最適化することにより、高速印刷時でも十分な乾燥性能を確保している。その結果、
- コート紙への対応範囲を拡大
- 高いインク濃度を維持
- 裏移り(セットオフ)の抑制
- 用紙変形の低減
- 後加工への適性向上
などを実現している。乾燥能力が向上したことで、印刷品質だけでなく、生産性そのものも改善されている。
- SC2インクとの最適化
560HDXでは、乾燥装置単体が進化したわけではない。SC2インク、循環ヘッド、画像補正、乾燥制御、これらを一つのシステムとして最適化している。つまり、「乾燥しやすいインクを開発した」のではなく、「インクと乾燥を同時に設計した」という点に560HDXの特徴がある。その結果、従来機よりも高い色濃度を維持しながら、高速印刷を可能としている。 - Production Workflowとの関係
乾燥技術は画質だけの問題ではない。乾燥が不十分であれば、- 搬送速度を落とす
- 印刷後の待機時間が必要になる
- 後加工へ直結できない
- 生産性が低下する
ことになる。560HDXでは、乾燥性能を高めることで、印刷から後加工までの工程をスムーズにつなぎ、Production Workflow全体の効率向上に寄与している。
EQUIOSとProduction Workflow
印刷機ではなく生産システム
560HDXは単独で完成する印刷機ではない。EQUIOSを中心とするWorkflowと接続し、PDF処理、RIP、ジョブ管理、印刷、品質保証、生産管理までを一体として運用する。印刷速度を競うだけでは利益は生まれない。ジョブを止めず、情報を止めず、品質を止めない。560HDXはProduction Workflowを前提として設計された生産システムなのである。
PODi Perspective
今回、IIC Kyotoで560HDXを見学して感じたことは、SCREENが「新しい印刷機」を開発したのではないということである。同社が取り組んできたのは、高速インクジェットが抱えていた課題を一つひとつ技術的に解決し、それらを統合して一つの生産システムへと昇華させることであった。まさに産業用途に向けた「解答」というに相応しい。
循環ヘッドが登場したときは、大いなる興奮を持って迎えた記憶がある。様々な効果が期待され、そのいくつかは確かに改善が見受けられた。しかし残念なことに、これまでは決定打は生まれなかった。ところが、SCREENによるパージレス、あるいはそれに近い運転は、これまでの考え方を変える。ヘッド回復行為はDrop-on-Demand方式のインクジェットの泣き所であった。輪転式インクジェットでオートスプライサーが十分に浸透してこなかった背景には、パージなどによる印刷中断が避けられず、連続給紙の効果を生かし切れなかった事情もあるのではないか。パージなどの回復行為が必要でないコンティニュアス方式のKodakは、かなり以前からオートスプライサーをオプション化している。
高濃度SC2インク、高度な画像補正、ノズル補完、高解像度CISによるインライン検査、自動色管理、そしてEQUIOSによるProduction Workflowとの統合。これらは個別の機能ではなく、相互に連携することで初めて価値を生み出す。
高速水性インクジェットでは、「ヘッド」「インク」「乾燥」は独立した技術ではない。560HDXでは、これら三つを一つのシステムとして設計することで、高画質と高生産性を両立させている。従来の高速インクジェットでは、「インクが乾かないから速度を落とす」という発想が一般的であった。しかし560HDXでは、「高速印刷を前提としてインクと乾燥を同時に設計する」というアプローチへ転換している。その結果、オフセットコート紙への対応、高濃度印刷、後加工適性など、商業印刷に求められる実用性能が大きく向上した。
乾燥技術は表からは見えにくいが、560HDXの完成度を支える重要な基盤技術である。560HDXの乾燥機構は、乾燥炉の外周を最大限に利用して長い乾燥パスを確保し、印刷面を内側に向けたまま、非接触で赤外線を当て続ける構造となっている。これはRICOH Pro VC80000が比較的小さい乾燥炉の中で渦巻き状に接触ヒートローラを中心に温風で乾燥していくのとは、設計思想が大きく異なる。
高速インクジェットは、ヘッド、インク、紙搬送、乾燥、画像補正、品質管理、ワークフローまで含めた総合設計によって初めて、高速・高画質・高稼働率が両立する。560HDXは、その思想を最も明確に体現した商業印刷向け高速インクジェット機の一つと言える。





