なぜ必要な条件は整った筈であったバリアブル・ダイレクトメールの市場は、期待したほど成長しなかったのか? ニーズはある。時代は成長から成熟へ、商品はマスから個に移り、顧客を個別に追いかけるダイレクトマーケティングの気運が高まる筈ではないか?
なんといっても、当時は必要なデータが揃わなかった。まずは住所がデータになって無ければ、郵便箱を追いかけるダイレクトメールにはならない。多くの場合、そこからであった。顧客にその顧客のデータを尋ねると、分厚い手書きの台帳が出てきたりする。たとえ住所データがあっても、誰だか、どんな人だか皆目見当もつかない。男女がわかる、年齢がわかる、誕生日がわかる、というのは希少な顧客であった。当時必要なデータを抱えていたのは、請求書情報の為のものであった。従ってデジタル印刷は請求書印刷に携わるフォーム印刷業界に集中しており、市場全体の70%以上を占めていたのだ。今の「ビッグなデータはどこにでもある」という状況とは、正に隔世だったのである。
AmazonがNASDAQに上場した1997年から4-5年の間は、市場の評価は分かれ株価は乱高下した。当初はカタログ通販こそが正統であって、ECサイトはまともなビジネスではないと思われていた。Amazonは2000年に日本市場に参入し、2001年にようやく利益を出し、ECサイトは既存の小売業に対して破壊的なイノベーションの可能性があると認知されだしたばかりだ。住所が送付先情報としてデータとしてネットに蓄積されて行くのはまだまだ先の話である。
勿論、中には熱心に取組んで頂いたお客様もいらっしゃった。しかし大きな市場を形成することはなかった。ほとんどの顧客のニーズは、個々のお客様向けにそれぞれ画像を刷り分けるような話ではなく、お客様を複数にセグメント分類するだけで十分であった。あるいは誕生日に向けて「おめでとう」の葉書を出すのが関の山であった。あるいは「定期診断」「車検の御案内」といった個別に時期が来るものであろうか。これらは特に画像を刷り分けるような必然はなく、オフセットの小ロット化で対応可能であった。どうしてもバリアブルにならなければならなかったのは文字だけで、従って従来の年賀状印刷と同じく、オフセットで刷った台紙に、デジタルでモノクロの追い刷りをする事で十分であった。なにも遅い、高い、品質が安定しない、当時のフルカラーデジタル印刷を使う必然性はなかったのである。
意気込んで、「マスから個」と言ってみても、当時の印刷業界は活況であって、チラシは全盛、新聞雑誌も花盛りで、ダイレクトメールもダイレクトマーケティングも、お呼びがかかるにはまだまだ時間が必要であった。ましてデータが無いのだから、データマーケティングなど言葉も存在しなかった。広告業界からも「テレビの枠が億単位で売れるのに何をチマチマ」と言って相手にされなかった。今ではテレビに追いつきつつある勢いのインターネット広告も、まだ数字になっていない。
印刷の為に手書きの台帳を電子化し、お客のデータを集める、さらにお客の属性にあわせて最適な画像を選択する、という厄介な事は残念なことに大規模には起きなかったのである。
(続く)
著者プロフィール
社団法人PODi 代表理事 亀井雅彦(かめいまさひこ) デジタル印刷活用をテーマに、印刷機メーカーや印刷会社に対して、人材の育成および教育・コンサルティングサービスや各種普及啓発活動、イベント、セミナーの開催を実施。 |