
連載「普及率87%の罠──『引き算』で終わる生成AI活用から、印刷・製造業はどう抜け出すか」第1回
本稿は、生成AIの普及率87%という数字の裏側にある、日本企業のAI活用の課題を読み解く連載の初回です。PwC調査が示す「活用率は高いが、期待を大きく上回る効果は限定的」というギャップを出発点に、印刷・製造業が生成AIを単なる省人化や時間短縮の道具にとどめず、顧客価値と収益機会へ接続するために何を考えるべきかを整理します。
2026年6月に発表されたPwC Japanグループのグローバル調査『生成AIに関する実態調査2026 春 6カ国比較』は、日本企業における生成AI活用の現在地について、示唆に富むデータを提示している。
同調査によると、日本企業の生成AI活用・推進度は87%に達し、米国90%、英国89%、中国91%、ドイツ89%、韓国93%と比較しても、大きく見劣りしない水準にある。一方で、「期待を大きく上回る効果が出た」と回答した日本企業は9%にとどまり、米国38%、英国32%とは大きな開きがある。さらに、日本では「まだ効果を評価できていない」とする割合も13%と、相対的に高い水準にある。
つまり、ツールは現場に広がりつつある。しかし、その成果を明確に評価し、経営上の価値として説明できている企業は、まだ限られている。このギャップを読み解くうえで重要なのは、生成AIを何のために導入しているのか、という目的の違いである。
PwCは、日本企業の生成AI活用について、既存業務の効率化や個別タスクの支援が中心であり、ツール利用の域を出ない面があると指摘している。生成AIは、業務効率化にとどまらず、AIエージェントが社内業務や顧客接点を自律的に担う段階へ移行しつつあるが、日本企業では、その活用を事業モデルや顧客価値の変革に結びつける点に課題が残っている。
この状況を、あえて単純化して言えば、日本企業の多くは生成AIを、新規事業の創出や顧客価値の拡張といった「掛け算」の道具としてよりも、業務時間の短縮や省人化といった「引き算」の道具として受け止めている、ということになる。
もちろん、「引き算」の活用そのものが悪いわけではない。印刷・製造業においても、見積作成、原稿確認、校正支援、問い合わせ対応、工程管理、営業資料作成、マニュアル整備など、生成AIによる効率化余地は大きい。人手不足や技能継承の課題を抱える業界にとって、業務時間の削減や省人化は、避けて通れない経営テーマである。
しかし問題は、生成AIの活用が日常化し、自律的なタスク実行や大量データ処理へ広がるにつれて、ツール利用そのものにも相応のコストが発生する点にある。
米調査会社Gartnerは、2028年までに企業のソフトウェアエンジニアの75%がAIコードアシスタントを利用するようになると予測している。これは2023年初頭の10%未満から大きく伸びる見通しである。
さらにGartnerは、LLMのトークン消費増と従量課金型モデルへの移行により、2028年までにAIコーディングに伴うコストが平均的な開発者給与を上回る可能性があるとも指摘している。背景には、AIエージェントの利用拡大、コンテキストウィンドウの肥大化、利用量管理の未成熟、ベンダー側のコスト透明性の不足などがある。
これはソフトウェア開発領域に関する予測であり、そのまま印刷・製造業に当てはめることはできない。だが、そこで示されている構図は、他産業にも無関係ではない。
自然言語での対話、大量のデータ処理、複数工程をまたぐ判断、自律的なタスク実行を前提とするシステムでは、利用量の増加に応じてAPIや計算資源のコストが積み上がる。生成AIは「使えば使うほど無料に近づく」技術ではなく、使い方によっては、成果と同時に費用も増幅させる技術である。
ここで問われるのが、導入目的と投資回収の整合性である。
生成AIを「コスト削減」や「時間短縮」のためだけに導入する場合、削減された時間や工数が、実際に利益、売上、顧客価値、品質向上、従業員への還元などへ接続されなければ、投資対効果は見えにくくなる。PwC調査でも、日本企業は生成AIで得た効果を、従業員への利益還元や顧客への価格還元といった財務的還元につなげる割合が低いとされている。
つまり、生成AIを「引き算」の道具としてだけ扱う限り、削減したはずのコストが、別の形のインフラコストや運用コストとして戻ってくる可能性がある。効率化によって生まれた余力を、新たな顧客価値、サービス開発、営業機会、品質向上、従業員の能力拡張へ転換しなければ、AI活用は単なるコストセンターになりかねない。
活用率87%に対して、期待を大きく上回る効果が9%にとどまるというギャップは、単に「使い方が足りない」という話ではない。ツールの普及率だけを追い、どの業務で、どの価値を生み、どの経営指標に接続するのかを設計しないまま導入を進めていることが、成果創出を難しくしている一因と考えられる。
印刷・製造業が生成AIに向き合う上で下すべき決断は明確である。生成AIを、単なる省人化や時間短縮の道具にとどめるのか。それとも、顧客接点、制作工程、営業提案、品質保証、サプライチェーンを再設計し、価値創造のエンジンとして組み込むのか。
前者は「引き算」で終わるAI活用である。後者は、産業そのものの競争力を作り替えるAI活用である。
では、印刷・製造業における「掛け算」のAI活用とは何か。
次に見るべきは、生成AIを業務効率化ツールではなく、顧客価値と収益機会を再設計するための基盤として捉える視点であろう。

